[修理]
2024年01月21日
オーダー仏壇&仏壇神棚メモ
特注家具
主要材針葉樹
塗装ウレタン塗装
お仏壇ですね。一応修理のジャンルに入れておきましたがお客様お手持ちのものは欄間と引戸4枚をクリーニングさせていただき、それ以外は材料を合わせて製作させていただきました。引き戸内部は須弥壇が3段になっていて両側面は緑の壁紙のまま。コンセントが須弥壇内部についていて照明は家具用ではなく建築の方で手配している照明がついているのでスイッチは出入り口のところでの操作になります。
地袋の方は内部は箱組になっていて可動棚が1枚ついています。
以上解説でした。
今年初仕事で前回ブログ書いてる最中にインフルエンザ罹っていることがわかりしばらく寝ていました。ちなみに病院に行ったところ「薄くインフルエンザですね」という診断で「ほう…薄く…?」ということで周りにはうつさず済みました。年始で納品と引上げのお客様にはご迷惑おかけいたしました。
今日は他に特に話すこともないので少し仏壇と神棚について調べているので忘れてもいいようにメモしておきます。
そもそも神棚と仏壇は願いを聞いてもらうところではないということです。日々学習する姿勢を保つことで蒙を啓いてもらうための確認の場所。あるお坊さんが仰っていましたが釈迦自体は「死後の世界なんかあるかわからないから考えるだけ無駄」というスタンスだったそうでキリストと違って釈迦は死後に出てくることもなければ死に方も食中毒だし普通の人だったそう。どちらかというと宗教家というより哲学者ということです。ということでそのお坊さん曰く「寺行って2600年前に死んだ人に拝みながら苦しさから救ってくれなんて恥ずかしいこと言うな。せっかくまだ生きてるんだからあんたたちよりももっといい世界を作ってやる位の事言ってみろ」というのはちょっと面白かったです。死後については日本にきた大乗仏教では一応あるということになっているのですがこれはキリスト教とかの影響なのかなとも思っています。わかりませんが。最初の仏教では死んだらどうなるかわからないからなにかしたいなら生きてるうちにということでしたし、ポンペイでもメメントモリ(死を忘れるな)という言葉は「死ぬんだから生きていることを大事にしよう」という意味と聞いて昔の死生観が少しわかる気がします。
神棚は日本の神道で神棚のなかにいるのは天照大御神と氏神など八百万の神。祖先の霊という人もいるけどその場合は神棚の下に祖霊舎などをつけて分けるので神棚自体には神様がいるということにはなっています。神社神道は経典教祖が存在しないので(天理教などの宗派神道や天皇の皇室神道は違う)、何に拝んでいるかというとけっこう単純なことを拝んでいると思います。自然の賢さを観察して活用して感謝するということになると思うので、何に拝んでいるのかというと土地への感謝と拝むことで学ぶ姿勢を学んでいるということになるのかと思います。
仏壇の中身は何かというと昔は「仏が住む国の仏国土や極楽浄土のジオラマ」かと思っていて、仏さまに周りの人の幸せなどを祈っていますがだいぶ違ってました。仏さまは元は人なので祈ったところで人の能力を超える開運とかの効果は当然無くて人を無意味に幸せにするような能力も無い。これは人に何かを及ぼす鬼や神ではないということで神と仏は分かれています。じゃあ仏壇の中は何かというと「宗派が掲げている教義のジオラマ」ということらしいです。聖書の中にキリストがいるかどうかのように厳密にいえば仏壇の中に仏様はいないのではないかと少し考えてしまいます。確かに天台宗の須弥壇には天台大師や最澄いるし他の宗にも宗祖飾っているのでちょっと変だとは思っていて、腑に落ちたのは位牌は仏壇の中に置けるが生前の遺影は仏壇から外すのは理解できます。ということは仏壇の欄間に彫ってあるのは家紋ではなく宗派紋になるのですが宗派紋は家紋と同じ形のものが多いので念のため菩提寺への確認が必要になりそうなのですがお寺でも宗派紋ではなく普通に家紋使っているところも多いような気がします。
仏壇は何に拝むかというと自分の幸せや故人の冥福ではなくて教義を学ぶために読経などをしながら拝むということになっています。神仏習合の期間が永いせいか学ぶために拝むというのも似ていますね。知りませんでしたが仏教は偶像崇拝を禁止もおススメもしていません。仏像は概念など説明しにくいものをわかりやすくするためにそれぞれの宗派で勝手にしてるだけで、人は偶像があると学ぶ姿勢を忘れ偶像にすがるようになるからということらしいですね。けっこう的を射てると思っています。拝む内容は教義によりそれぞれだが仏教は解脱を目指すので最大公約数では知恵で自他を苦しみから解くことを誓うということになるかなと思います。
ちなみに位牌を拝まないということで追善供養が間違っているかというと死後の世界を認めている日本仏教ではあっていると思っています。そもそも葬式も追善供養も故人の為ではなく遺族の為にあるのだから儀式を続けていくことで失った苦しみが和らぐのはわかるし仕組みとしても最適。故人を拝んではいけないわけではもちろんないので。ちなみに自分を思い返すと仏壇に遺影がっつり置いて完全におばあちゃんの遺影にご飯とお水をお供えしていましたね。今も教義は知らないですが神道と仏教は日本の道徳教育の基礎なので日本人らしさというものを作っていると思っています。
あとは忘れないと思うけど一応方角の確認。仏壇も神棚も南に面しているのが基本。これは中国の城からきていると思っていて、北極星が天体の中で不動だったので変わらずにあるという意味を込めて城は北を背にして南に面しているので。
実用的には部屋は南側は一日中日光が入るので窓や襖が多く、仏壇と神棚あると邪魔だし床の間もそんな理由で北にあることが多かったので静かで一番いい場所ということで和室の北側ということに設置になったのではないかなと。方角が問題あるときに一応確認するのだがあまり気にするお寺はない気がします。昔はリビング駄目だったけど今はむしろ良いということになっていて、関係ないけど仏壇の素材も昔は金を使わないとダメとか明治からは唐木仏壇じゃないととか色々あったけど今はうるさいこと言わなくなったのでこのあたりは時代によって変わるものですね。